資料編

基準点とは

基準点とは、地球上の位置や平均海面からの高さが正確に測定された三角点、水準点等をいい、各種測量や地図作成の基準となるものです。
これらの基準点は、すべての測量の基礎として、公共測量、地籍調査、地殻変動観測等に使用されています。
また、都市計画、都市基盤整備、電力・ガスの事業計画や管理、観光開発、交通網の整備、環境管理、福祉計画等に必要な地図作成に基準点が使用されています。
東日本大震災後の復興事業では、これらの基準点を使用して、震災前の土地の境界や面積が再現されるなど、個人の財産を守ることにも役立っています。
三角点は、地球上のどこの場所かを示す手段として、山の頂上付近や見晴らしのよいところに設置され、経度、緯度、標高が正確に求められています。
一等は四十五キロメートル、二等は八キロメートル、三等は四キロメートル、四等は二キロメートル間隔に設置されています。

日本の土地の高さ(標高)は、東京湾の平均海面を基準(標高0メートル)として決められています。

三角点「船岡」

二等三角点「船岡」は、明治三十年十一月十五日に設置されました。標石を護るため保護石四個が周囲に配置されています。
所在地:船岡字館山24-2
所有者:柴田町
北緯 38度03分12.9413秒
東経140度45分18.1116秒
標高135.59m
東日本大震災で南に約1メートル、東に約4メートル移動し約39センチメートル沈下しました。

三角点「船岡中学校」

四等三角点「船岡中学校」は、昭和六十年七月十九日に設置されました。標石を護るため保護石四個が周囲に配置されています。
所在地:船岡字七作26

所有者:柴田町
北緯 38度03分11.7577秒
東経140度46分46.4043秒
標高11.73m
東日本大震災で南に約1メートル、東に約3メートル移動し約36センチメートル沈下しました。

三角点「山崎山公園」

四等三角点「山崎山公園」は、平成四年十二月一日に設置されました。標石を護るため保護石三個が周囲に配置されています。
所在地:船岡南1-11-35
所有者:柴田町
北緯 38度03分08.1489秒
東経140度46分05.6158秒
標高32.72m
東日本大震災で南に約1メートル、東に約3メートル移動し約29センチメートル沈下しました。

水準点は、全国の主な国道又は主要地方道に沿って水準点は、全国の主な国道又は主要地方道に沿って約二キロメートル毎に設置され、高さが正確に求められています。この水準点を使用して測量することにより、土地の高さを精密(ミリメートル単位)に求めることができます。
道路水準点は、昭和三十八年度より一等水準路線に沿う形で地方建設局により設置されました。当時の国道4号(現・県道50号線)は、昭和四十年十二月設置。昭和四十二年十一月観測されています。国道4号沿いに1キロメートル毎に東京から仙台まで水準点・金属標が0.5キロポスト脇に埋設されました。

道路水準点「4-321」

所在地:船岡西1丁目14先
標高:14.8235メートル。

道路水準点「4-322」

所在地:船岡中央1丁目5-27先
標高:13.9706メートル。

几(き)号水準点

所在地:船岡中央2 柴田町役場
「不」この刻印は、明治時代の水準点で高低几号といいます。内務省地理局が明治九年(1876)に東京から宮城県塩釜までの陸羽街道の標高を調べるため設置したもので、街道沿いの船迫地区にあったものが現在地に移されたものです。大きさ約18cm角、高さ約60cm

三角標

所在地:船岡城址公園樅ノ木展望デッキ
宮城県が大正二年(1913)白石川の氾濫後、河川測量を行うために設けた標石で、「三角標/宮城縣/大正二年/白第十六號」と刻まれています。
船迫地区で蛇行していた白石川は大正六年から大正十二年にかけて直進する改修工事が行われました。
基点(零号)は、槻木白幡の東禅寺の寺入山にあります。

元標

所在地:船岡西1-2
正面:御大典記念 船岡邑青年團 昭和三年十一月
右:元標 右大森ヲ経テ北郷ニ至ル(北郷校ヘ 五二二〇米)
左:元標 右 大河原ニ至ル(三〇四〇米)、左 槻木ニ至ル(五四三〇米)
昭和三年(1928)十一月の昭和天皇の即位の礼を記念し建立されたものです。当初、町役場敷地の北西の角にあったものが道路拡幅により現在地に移転されました。大きさ、20cm角、高さ140cmのコンクリート製。

豊川光雄・記

皇国地誌とは

皇国地誌は明治政府による官撰地誌で、明治八年に編纂が命じられた。本書は政府に提出したものの控であるが、原本の殆どが失われた現在、稀少品である。明治二十二年の市制・町村制施行前の地域の実態を多角的に知りうる貴重な資料であり、安永風土記や封内風土記との時代の変化をみる上でも絶好の史料である。(地誌二十六冊、附図四百九十五舗)
県指定有形文化財(書跡・典籍)に指定され、宮城県図書館に所蔵されている。
柴田郡誌は、明治十七年九月 宮城縣令 松平正直から明治政府に提出されている。

宮城縣陸前国柴田郡地誌
陸前国柴田郡舩岡村

疆域

東は本郡上名生村と迫山嶺上及ひ南江堀、北江堀中央或は畦畔を以て界し、
西は本郡大谷村と八入山嶺上或は畦畔及び悪水堀の中央を以て界を接し、
南は磐城国伊具郡君萱村と八入・万景二山、同郡神次郎村と万景・迫二山各其嶺上、或は畦畔を以て其界を分つ、
北は本郡大河原・沼辺・舩迫の三村と各白石川中央を以て界とす。

幅員

東西三十一町二十間、南北二十九町十間。

里程

宮城県庁より南方八里一町十三間、
東方上名生村掲示場へ二十町、
西方大谷村掲示場へ十九町四十六間、
南方伊具郡君萱村掲示場へ三十二町十六間、
同郡神次郎村掲示場ヘ一里二十一町、
北方大河原村大河原駅里程標へ三十一町十六間、
沼辺村掲示場ヘ一里十町、
舩迫村舩迫駅里程標へ三十一町四十六間、
東方磐城国亘理郡亘理駅を距る二里三十三町五十二間、
南方伊具郡角田駅を距る二里五十間。

地勢

山嶽西南に亘り白石川北方を曲流し、運輸便にして薪炭乏し。

地味

其色灰白細砂混淆す、其質美、稲粱に宜く桑茶に適す、水利便にして水旱の患なし。

税地

田 百十四町一段五畝二十八歩
畑 百七十三町六段二畝十七歩
宅地 二十八町三段一畝十七歩
総計  三百十六町一段二歩

字地

内小路 本村の西方南より北へ連る、東西一町、南北一町四十間。
北小路 本村の北方東より西へ連る、東西一町四十間、南北一町。
原町 本村の北方東より西へ連る、東西一町二十間、南北一町。
広小路 本村の北方南より北へ連る、東西三町、南北一町。
袋町 本村の北方南より北へ連る、東西一町、南北三町二十間。
新小路 本村の中央東より西へ連る、東西一町四十間、南北一町。
砂田 本村の東方東より西へ連る、東西二町、南北一町。
久根添 本村の東方東より西へ連る、東西二町、南北一町。

貢租

国税 金千五百九円十五銭九厘
地租 金千三百五十円二十九銭四厘
牛馬売買免許鑑札税 金二円
酒類税 金七十円五十三銭七厘
証券印紙税 金三十九円三十二銭八厘
銃猟税 金八円
車税 金十四円
酒類受売営業税 金五円
煙草税 金二十円
県税 金二円八十八銭六厘  濁酒営業税
総計 金千五百十二円四銭五厘

戸数

本籍二百八十戸(平民)、社四戸(村社一座、小社三座、総四座)、寺三戸(曹洞宗二宇、日蓮宗一宇`総三宇)
総計二百八十七戸

人数

男五百七十八口(平民)
女七百三十六口(平民)
総計千三百十四口

牛馬

牡牛十三頭、
牡馬七十四頭、牝馬十五頭、総計八十九頭

舟車

日本形舩十艘(五十石未満渡舩二艘、耕作舩八艘)
人力車三輛、荷車十一輛(大六車)、総計十四輛

八入山 本郡大谷村にて小広瀬山、伊具郡君萱村
村にて山田山と云ふ、高二十五丈、周回二十八町六間、村の西南方にあり、嶺上より三分し、東は本村に属し、南は君萱村に属し、西北は大谷村に属す、山脈西大谷村歌高山に連る、大樹なく処々痩松を生す。
萬景山 伊具郡君萱村にて小金沢山、同郡神次郎村にて高久蔵山と云ふ、高八丈、周回二十町、村の南方にあり、嶺上より三分し、東南は神次郎村に属し、西南は君萱村に属し、北は本村に属す、山脈東迫山に連る、大樹なく痩松を生す。
迫山 伊具郡神次郎村にて寺山と云ふ、高五丈、周回十町、  村の東方にあり、嶺上より三分し、東は上名生村に属し、南は神次郎村に属し、西北は本村に属す、山脈東中名生村山崎山に連る、処々痩松を生す。
館山 高三十五丈、周回三十町、村の西方にあり、山脈南八入山に連る、樹木疎生す。

白石川 二等河に属す、最深八尺、最浅二尺五寸、最広一町二十間、最狭四十間、急流にして濁る、舟筏通せす、堤防あり、村の西北方大谷、大河原二村の界より来り、大河原、沼辺、船迫三村の界を東に曲流して上名生、船迫二村の界に至る、其間二十九町十五間。
横渡 角田道に属す、本村より八町、深三尺、広五十間、村の西方白石川の下流にあり、渡舩二艘、私渡。
堰堀 本村の西南方大谷村より来り北東に流れて上名生村に至る、長一里五町四十間、幅一間、田二十八町歩の用水に供す。
太子堂堀 本村の北方字横町にて堰堀より分れ東流 して字三ヶ内に至て堰堀に入る、長十町四十間、幅一間、田二十八町歩の用水に供す。
深山堀 本村の南方赤沼より発し東流して字才内に至て太子堂堀に入る、長十町十間、幅一間二尺、田二十町歩の用水に供す。
北江堀 本村の南方大沼より発し東北に流れて上名生村に至る、長十七町、幅一間二尺、田三十町歩の用水に供す。
南江堀 本村の南方大沼より発し東流して上名生村に至る、  長十四町四十間、幅一間、田八町歩の用水に供す。
中堀 本村の西南方大谷村より来り北流して字高田に至て堰堀に入る、長四町四十間、幅一間二尺。
悪水堀 本村の西方大谷村より来り同村界を北流して字川前に至て白石川に入る、長三町二十間、幅一間二尺。

湖沼

大沼 東西四町、南北二町三十間、周回四十三町、村の南方にあり、村の用水となす。
赤沼 東西一町、南北一町五十間、周回七町、村の南方にあり、村の用水となす。
八入池 東西一町二十間、南北四十間、周回四町、村の西南方にあり、村の用水となす。
鍋倉池 東西四十間、南北五十間、周回三町、村の西南方にあり、村の用水となす。

道路

角田道 三等道路に属す、村の西方本郡沼辺村界より南方伊具郡神次郎村界に至る、長二十九町十間、幅一間二尺。
亘理道 三等道路に属す、村の西方字本町にて角田道より分れ東方上名生村界に至る、長二十町三十間、幅一間。
君萱道 三等
道路に属す、村の西方字横町にて角田道より分れ西南方伊具郡君萱村界に至る、長十七町三十一間、幅三尺。
大谷道 三等道路に属す、村の西方字川端にて角田道より分れ西南方大谷村界に至る、長八町、幅一間。
掲示場 本村西口より八町、舩岡駅本町にあり。

堤塘

白幡堤 白石川に沿ひ村の北方字原町より東北方上名生村界に至る、長十四町十間、馬踏二間、堤敷六間、根堅柳樹あり、修繕費用は官に属す。
内堤 白石川に沿ひ村の東北方字原町より東方上名生村界に至る、長十二町、馬踏五尺、堤敷二間、根堅樹竹なし、修繕費用は官に属す。

冷泉

萬景泉 泉質鉄気を含む湿瘡に宜し、浴場一ヶ所、逆旅四戸、一歳浴客凡三千六百人に下らす。

白鳥社 村社、社地館山、面積一畝二十九歩、本村の西方にあり、日本武尊を祭る、祭日九月六日。
熊野社 小社、社地五輪小路、面積二畝十歩、本村の西方にあり、加牟呂岐命を祭る、祭日九月九日。
八幡社 小社、社地沢山、面積一畝十四歩、本村の西南方にあり、誉田和気命を祭る、祭日八月十五日。
深山社 小社、社地深山、面積五畝八歩、本村の南方にあり、天照大御神を祭る、祭日四月十八日。

恵林寺 面積二段六畝二十歩、曹洞宗東陽寺の末派なり、村の西方山下にあり、慶長五年庚子、僧用山全応開基創建にして其年間を詳にせす。
大光寺 面積三段十歩、曹洞宗瑞雲寺の末派なり、村の西方山下にあり、天文十六年乙酉、僧雲州全利の開基創建に係る。
蓮華寺 面積三段八畝十二歩、日蓮宗孝勝寺の末派なり、村の北方土手端にあり、僧日宗開基創建にして其年間を詳にせす。

学校

公立小学校 村の中央舩岡駅本町にあり、生徒男九十六人、女五十三人。

郵便局

五等郵便局 村の中央舩岡駅本町にあり

町村會所

第一大区四小区々務所 村の中央舩岡駅本町にあり。

古跡

四保館跡 村の西北方館山にあり、伊達氏の臣柴田家の曩祖四保四郎居る所にして、今其子孫相継て之に居る、名跡志に曰、郷人舟岡城と曰ふ、或は四保館と号す、乃ち柴田次郎の故墟なり、牙城方四十間、二郭三十間遶り七十間、三郭方七十間、地勢峻険、東南大湖あり、西に並倉湖あり、東に内湖あり、北に阿武隈河を湛え謂可し、地利の衆美に鍾むるの堅城なり、郷説数條、信すへからすと雖も古来往々伝説して口碑に遺す、故に挙て之を記し柴田氏古往全盛之時、倉に一嚢粟あり、食て竭難く篋に一片帛あり、裁て尽るなく、庭に一甘泉あり、汲て涸す云々、又、東鑒曰羽林頼家屡柴田次郎を召し病と称して至らす、是に於て正治三年九月四目、宮城四郎柴田城を攻めしむ時に工藤行光従者藤五藤三なる者東奥より鎌倉に還り、偶之を白河の関に聞く、是より往て宮城軍を援ひ其城塁を抜く、大に戦功あり、是に於て城主終に亡ふ。

物産

動物
鴨 千羽、
鮒 一万五千尾、
鯰 一万尾、
蛯 十五石、
鰻 千五百貫目

植物
大豆 三百石、
蓮根 一万本、
鬼菱 八十石
器用物
建築石 百五十駄、
竃石  二百駄

製造物
粉藍 五百五十貫目
其質美、磐城国刈田郡白石駅其他近駅へ輸送す

民業
男 農を業とする者二百三十五戸、工を営むもの四十五戸、
女 大概男業に従事す。

豊川光雄・記

船岡地区の名木・古木

平成九年三月、柴田町制施行四十周年記念事業として「名木・古木」が四十本選ばれています。
・地域の象徴として親しまれているもの
・由緒ある樹木であるもの
・相当の年数を経た老木であるもの
・その他名木・古木として相応しい樹木であるもの
が選定基準でした。
また、町民が観察しやすい場所にあることも考慮に入れました。

船岡地区には次の樹木が選ばれています。

大光寺のイチョウ

・樹種:イチョウ科 イチョウ
・幹周:4.3m
・樹高:31.0m
・推定樹齢:170年
・所在地:船岡南1-1-17
・所有者:大光寺
・昭和四十八年四月三日柴田町指定の天然記念物となっている。
・文政六年(1823)に本堂と共に焼失したが、その根株から芽が出たと言い伝えられている。秋には真っ黄色に色付き、落葉する。

麹屋の夫婦ケヤキ

・樹種:ニレ科 ケヤキ
・幹周:4.9m
・樹高:18.0m
・推定樹齢:500年
・所在地:船岡西1-3-2
・所有者:平井氏
・昭和四十八年四月三日柴田町指定の天然記念物となっている。
・麹屋(平井家)は江戸時代の旧い商家で、その屋敷内にあり、親しまれている巨木である。
・平成26年、1本が枯死した。

船岡城址公園のモミ

・樹種:マツ科 モミ
・幹周:2.0m
・樹高:14.0m
・推定樹齢:不明
・所在地:船岡字館山
・所有者:柴田町
・NHKで放映された「樅の木は残った」のモデルになったモミの木で町民に親しまれている。

船岡城址公園のサクラ

・樹種:バラ科 ソメイヨシノ
・幹周:2.7m
・樹高:12.0m
・推定樹齢:100年余
・所在地:船岡字館山
・所有者:柴田町
・船岡の飯淵七三郎氏が明治四十年(1907)に植えたサクラ(ソメイヨシノ)が中心で、近年「柴田町さくらの会」で植えたサクラでもあり、「さくらの名所100選」に選ばれた。

白石川土手のサクラ

・樹種:バラ科 ソメイヨシノ
・幹周:2.7m
・樹高:11.5m
・推定樹齢:70年
・所在地:白石川土手
・所有者:国土交通省
・大河原町の高山開治郎氏が大正十二年(1923)に植えたサクラである。船岡城址公園のサクラとともに「さくら名所100選」に選ばれた。

山崎山のウラジロカシ

・樹種:ブナ科 ウラジロカシ
・幹周:1.8m
・樹高:15.0m
・推定樹齢:不明
・所在地:船岡字山崎山
・所有者:柴田町
・山崎山公園内にある巨木である。山崎山は飯淵家の墓所で、このウラジロカシは墓所の象徴木であった。

西住小学校の天女の松

・樹種:マツ科 アカマツ
・幹周:1.7m
・樹高:5.5m
・推定樹齢:不明
・所在地:船岡字大住町16-1
・所有者:西住小学校
・七ヶ宿ダムで水没した農家の屋敷内にあったアカマツを昭和58年に植樹したもので、西住小学校の校木になっている。

館山のモミの群落

・樹種:マツ科 モミ
・幹周:2.5~3.3m
・樹高:25.0m・推定樹齢:60年
・所在地:船岡字根形
・所有者:昭和電線
・樹形がよく樹勢も旺盛で、この地域としては見事なモミの林(モミ群落)で下層にはカヤ、コナラ、ツバキ、アオキ、ヤブコウジ等が見られる。山崎山公園から館山に至る遊歩道のそばにある。

蓮華寺の子育てイチョウ

・樹種:イチョウ科 イチョウ
・幹周:3.8m
・樹高:19.0m
・推定樹齢:110年
・所在地:船岡東1-2-82
・所有者:蓮華寺
・明治三十五年(1902)に植えられ子育てイチョウと呼ばれている。樹形が良く、樹勢が旺盛で乳柱(気根)が垂れ下がり始めている。

恵林寺のクロマツは枯死

出展:柴田町制施行四十周年記念事業「柴田町の名木・古木」平成九年三月発行
豊川光雄・記