資料編

皇国地誌とは

皇国地誌は明治政府による官撰地誌で、明治八年に編纂が命じられました。本書は政府に提出したものの控ですが、原本の殆どが失われた現在では稀少品です。明治二十二年の市制・町村制施行前の地域の実態を多角的に知りうる貴重な資料であり、安永風土記や封内風土記との時代の変化をみる上でも絶好の史料です。(地誌二十六冊、附図四百九十五舗)
宮城県指定有形文化財(書跡・典籍)に指定され、宮城県図書館に所蔵されています。
柴田郡誌は、明治十七年九月 宮城縣令 松平正直から明治政府に提出されています。
(以下原文のまま)

地誌 舩迫(ふなはさま)村

疆域

東は本郡入間野村と土平山嶺上、丹羽山東半腹、或は畦畔、中名生村と白石川中央を以て界を限る、
西は本郡沼辺村と立石、上野二山の嶺上及ひ畦畔を以て界し、
南は本郡舩岡、上名生二村と各白石川中央を以て界を分つ、
西北は本郡成田村と羽山・上野山嶺上、又は海老
穴道の北端を以て界し、
北は本郡小成田村と小田小路山・羽山二山の嶺上、或は畦畔、海老穴村と大田小路・丹波の二山、各其嶺上を以て界とす。
幅員 東西一里七町、南北二十一町三十間。

里程

 宮城県庁より南方七里三十四町二十五間、
東方入間野村槻木駅里程標ヘ一里十八町二十  五間、中名生村掲示場ヘ一里二十六町三十間、
西方沼辺村掲示場ヘ一里十六町三十五間一尺、
南方舩岡村舩岡駅里程標へ三十一町四十六間、 上名生村掲示場ヘ一里二十町、
西北方成田村掲示場へ二十五町四十間、
北方小成田村掲示場へ十九町、海老穴村掲示場 へ二十四町、
西方本郡大河原駅を距る一里十一町三十四間。
地勢 西北立石・上野・羽山・小田小路・大田小路 丹波の群山を負ひ、東南白石川を帯ふ。運輸便 にして薪炭乏からす。
地味 其色黒、其質美、稲梁に宜しく桑茶に適。  水利便ならすして時々旱に苦む。
税地
田  七十四町五段一畝歩

税地

田  七十四町五段一畝歩
畑  八十七町七段八畝十二歩
宅地 十町一段二畝十四歩
総計  百七十二町四段一畝二十六歩

字地

中内(なかのうち) 本村の東北方東より西へ連る、 東西二町、南北二十間。
台(たい) 本村の東北方東より西へ連る、東西二町南北一町。
千代川(ちよのかは) 本村の東北方東より西へ連る。
東西二町、南北二町。
大田小路(おほたこうち) 本村の東北方東より西へ連る、東西二町、南北一町。

貢租

国税 金八百三十円三十九銭八厘
地租 金七百九十九円三十九銭八厘
牛馬売買免許鑑札税 金二円
銃猟税 金二円
車税 金二十七円

戸数

本籍百三十七戸(平民)
社五戸(村社一座、小社四座、総五座)
寺一戸(真言宗一宇)
総計百四十三戸
人数
男四百六十四口(平民)
女四百四十二口(平民)
総計九百六口

牛馬

牡牛七頭、
牡馬四十丸頭 牝馬二頭、総計五十一頭
舟車
人力車三輛、荷車二十四輛(大六車)、総計
二十七輛

羽山(はやま) 高五十丈、周回二里十五町、
村の西方にあり、嶺上より三分し、東は小成田村に属し、南は本村に属し、西北は成田村に属す、山脈西上野山に連る、樹木なく草を生す。
上野山(うへのやま) 高二十五丈、周回一里二十町、 村の西方にあり、嶺上より三分し、東南は本村に属し、西は沼辺村に属し、北は成田村に属す。山脈西沼辺村糠沢山に連る。樹木なく渓流一條、深八寸、広五尺、下流岩沢深八寸、広五尺、下流岩沢堀となる。
立石山(たていしやま) 高三十丈、周回十三町、村の西方にあり、嶺上より二分し、東は本村に属し、西は沼辺村に属す。山脈北上野山に連る。樹木なく草を生す。渓流一條、深一尺、広一間、下流文殊堀となる。
小田小路山 小成田村にて北向山と云ふ、高十五丈、周回五町、村の北方にあり、嶺上より二分し、南は本村に属し、北は小成田村に属す。山脈西羽山に連る。樹木疎生す。登路一條本村より左折し字沼田より上る、高三町険にして近し。
沢田山(さはたやま) 高十三丈、周回七町、村の中央にあり、山脈北小田小路山に連る。樹木多し。
館山 高十三丈、周回七町、村の中央にあり、山脈北沢田山に連る、樹木疎生す。 
土平山(どたへらやま) 人間野村にて寺山と云ふ、高二十六丈、周回十町、村の東方にあり、嶺上より二分し、東は人間野村に属し、西は本村に属す。山脈西館山に連る。樹木なく草を生す。
丹波山(たんばやま) 海老穴・入間野二村にて長峰山と云ふ、高十丈、周回三十五町、村の北方にあり、東半腹より三分し、東北は入間野村に属し、西は海老穴村に属し、南は本村に属す。山脈西大田小路山に連る。樹木欝蒼す。
大田小路山 海老穴村にて白山堂山と云ふ、高二十三丈、周回三十五町、村の北方にあり、嶺上より二分し、南は本村に属し、北は海老穴村に属す。山脈西羽山に連る。樹水疎生す。

白石川(しろいしかわ) 二等河に属す。最深八尺、最浅二尺五寸、最広一町二十間、最狭四十五間。急流にして濁る。舟筏通せす。堤防あり。村の西方沼辺・舩岡二村の界より来り、舩岡・上名生・中名生三村の界を東流して入間野・中名生二村の界に至る。其間一里十町五十間。
三ヶ村堀 本村の南方字十八津入にて白石川より分れ東流して入間野村に至る。長二十三町四十間、幅三間、田二十三町歩の用水に供す。
大堀 本村の北方小成田村より来り東南に流れて入間野村に至る。長二十八町四十間、幅二間、田二十四町五段歩の用水に供す。
岩沢堀(いはさはほり) 本村の西方上野山の渓澗より来り東南に流れて字町に至て白石川に入る、長十町三十間、幅一間四尺、田十一町五段歩の用水に供す。
文殊堀(もんしゆほり) 本村の西方立石山の渓澗より発し東南に流れて字町に至て白石川に入る、長九町三十間、幅一間、田十五町歩の用水に供す。
中町橋(なかまちはし) 陸羽街道に属す、本村より一町四十間、架して村の西南方岩沢堀の下流にあり、水深三尺、広一間四尺、橋長二間、幅二間、木製。上町橋(うはまちはし) 陸羽街道に属す、本村より三町四十間、架して村の西南方文殊堀の下流にあり、水深二尺、広一間三尺、橋長二間、幅二間、木製。

道路

陸羽街道 一等道路に属す。村の西方沼辺村界より東方入間野村界に至る。長一里十三町十間、幅六間、道敷四間、松樹の並木あり。
小成田道 三等道路に属す。村の西南方字町にて陸羽街道より分れ北方小成田村界に至る。長十五町五十間、幅一間。
海老穴道 三等道路に属す。村の北方小成田村界より東方海老穴村界に至る。長一町二十間、幅二間。
掲示場 本村西口より十七町三十間にあり。

熊野社 村社、社地寺の内。面積二段九畝五歩。本村の西南方にあり、熊野加武呂命を祭る。祭日九月十七日。社地中老柏一株あり。
三嶋社 小社、社地森合。面積二十歩。本村の西南方にあり、積羽八重言代主命を祭る。祭日三月十九日。
愛宕社 小社、社地千代ノ川。面積二畝二十九歩。本村の東方にあり、加愚突知命を祭る。祭日六月十五日。社地中老松杉樹あり。
八雲社 小社、社地天王。面積一畝二歩。本村の西南方にあり、速須佐男命を祭る。祭日七月十五日。
八幡社 小社、社地十八津入。面積二十五歩。本村の西南方にあり、応神天皇を祭る。祭日八月十五日。

 大光院 面積二段九畝二十七歩。真言宗報恩院の末派なり、村の西南方寺の内にあり。僧柳木の開基にして其年間詳にせす。其後衰微せしを以て延宝三年乙卯、僧祐栄、更に之を中興す。
鉄仏堂 面積三畝八歩。村の西南方にあり。封内風土記(仙台藩士田辺希文著)曰、鉄仏四体あり、長さ三尺許、記め曰、文永三年己寅四月朔日、伝云、古昔立石長者なる者あり、之を建、長者居所の故址今に至て偶古尾出本邑変あり、
則鉄仏汗を生す、故に土人、之を生汗阿弥陀(あせかきあみだ)と称す、観迹聞老志、名跡志共に曰、船迫
西農家小堂あり、郷隣寺宅(やしき)と曰ふ、堂中鉄仏四躯あり、益旧時五智如来安して其一を欠く者ならんや、各南面高さ三尺にして倶に並坐す第一胸間文字あり、消爍詳ならす、辟支仏字書しる者か、左に綿字あり、上下文字を欠く、其由を知らさるなり、第二山字あり、其下の字滅す、下に法師字あり、左に文永三年丁子十月三日と記す、第三左に氏字あり、右に行阿弥陀仏字あり、何年何人之を安置するを知らす、文字爛滅多し、屡回禄に罹りたる者なり、其西に寺あり、松光山神宮寺と曰ふ、真言を修す、彼の仏像亦往時寺院の旧物歟、白綿か各仏頂上に被しむ、之を土人に問ふ曰く、毎年蚕事畢て之を奉し成功を告く、第一仏胸下の綿字故ありて書す、慈に因て農家寄付して蚕成之事を告る者なり、文永八十九代亀山帝七年、是歳丁子なし、今に至て幾四百八十余年爛壊亦宜哉、希文按るに土人言ふ所、文永三年己寅四月朔日とし二書記する所と異なり六十甲子丁丑己丑ありて、丁子己寅の連続なし、年を歴るの久し、且回禄に罹り文字漫滅、分明ならす、其文字を臆度して之を誤るなり、且十月三日、四月朔日、其月日の異る所亦然り。
薬師堂 面積二畝三歩。村の西南方町にあり。創建年間詳ならす。

学校

公立小学校 村の西南方下町にあり。生徒男五十三人、女十人。

電線

線路 陸羽街道の左より字二本杉田圃の左を過き沼辺村に達す。長一里十三町三十間。

物産

動物 鱒百尾、 鮭二百尾、 繭八石
植物 小麦百石、 大豆百石、 小豆三石、 菜種
十石、葉藍千五百貫目、 楮皮五十貫目
製造物 生絲六十四貫目、屑絲五貫目 其質美、
本郡大河原駅其他近郷へ輸送す。

民業

男 農を業とする者百二十九戸、工を営む者八戸。
女 大概男業に従事す。