ものがたり

六兵衛(ろくべえ)さん その一

六兵衛(ろくべえ)さん その一むかしむかし、奥州槻木は米や繭の集荷地として、また阿武隈川の舟の交通の要所として、栄えていたんだとや。
その槻木に、米を商っている庄屋があったんだどさ。
庄屋では、朝から晩までたくさんの人を使い、大きな臼で「ドスコイ、ドスコイ」と、米をついていたんだど。
ある雪の降る朝、庄屋さんが雪をはいていると、門のそばに若者が倒れていたんだとや。庄屋さんは驚いて家の者たちを起こすと、その若者の体を
火をたいて温めてやったんだど。
若者は六兵衛(ろくべえ)といい、越後から働きに来たんだけど、飢えと寒さで倒れてしまったんだどや。
庄屋さんは、その話を聞いて、「よくなるまで、家でゆっくり休んでいくがよい」と言ってやったんだと。六兵衛は、涙を流して喜んだんだとさ。
しばらくして、六兵衛は元気になり、庄屋さんの家に置いてもらうことになったんだと。朝はだれよりも早く起き、庭の掃除や米つきの準備など、休む暇もなく一生懸命働いたんだどさ。
「庄屋さんは命の恩人だ、お金なんかいりません。ただ食べさせてもらえばいいんです。いつまでも置いて下さい」と、頼んだとさ。庄屋さんは、
「六兵衛や、お前にそんなに働いてもらってありがたいから、いくらか給金をやろう」と、言ったんだと。
「そんなら庄屋さん、米俵のはたいたものを下さい」「そんなもの何するんだ」「縄をといて、お米をはたいて集めてみます」と、言ったんだとさ。
六兵衛(ろくべえ)さん その一庄屋さんは喜んで、俵を全部六兵衛にやることにしたんだとや。
六兵衛は仕事が終わると、何十俵もの米俵をていねいにはたいて、せっせとお米をためたんだとさ。
ある年、奥州地方は干ばつで米が取れず、大飢饉に見舞われたんだと。
毎日、毎日、死んでいく人がいても、どうすることもできなかったんだとさ。
それをみて、六兵衛は庄屋さんに「自分がためたお米をみんなに食べさせて下さい」と、頼んだんだとさ。
庄屋さんはそれを聞いて、自分が儲けることにだけ一生懸命だったことに、気が付いたんだと。
「六兵衛やありがとう。それではおれも、蔵の米を全部食べさせてやろう」と言って、みんなに分け与えてやったんだとさ。
そして村人たちは、そのお米で命をつなぐことができたんだと。
それからというもの、六兵衛は村人の命の恩人として敬われ、終生槻木で過ごしたんだとさ。村人たちは、六兵衛の死後、地蔵さんを建てて祭っているんだとさ。
※六兵衛地蔵は、昭和二年に葛岡公園に移されて祭られています、命日には新町地区のみなさんが赤い頭巾や前かけを作り、六兵衛さんの徳をたたえているそうです。

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