私たちは平成18年度の南東北広域ネットワーク事業の選定を受け、福島県境から宮城県
岩沼市までの奥州街道と一里塚を調査しました。また、仙台市を基点とする里程標もあわせて
調査し、「奥州街道絵地図」に記載しました。
絵地図は白石市白石城、柴田町しばたの郷土館にあります。ご覧ください。

奥州街道MAP

「奥州街道絵地図」より
一里塚
江戸時代、幕府は江戸を中心とした体制を整える、慶長九年(1604)に五街道をはじめとした
街道の整備事業を行いましました。更に元和二年(1616)に家康の遺訓といわれる
「家康百箇条」で街道の種類や規格が定められました。これにより日本橋を基点として三十六町
(4Km)ごとに一里塚が置かれ、目印として五間(9m)四方の小高い塚を築き、榎や松杉などを
植えました。
旅人にとっては距離の目安になり、木陰は休息の場にもなりました。また、荷駄の運賃基準にもなり
ました。幕府は塚の整備を領主に樹木の植え替えなの管理命じました。各地に残る「二本杉」や
「二本松」などの地名もこの名残かも知れません。
仙台領については日本橋から七十八番目が越河の一里塚、仙台の北目町の一里塚は
九十三番目になります。仙台城下の町割り中心は「芭蕉の辻」でしたが、里程の基準は北目町の
一里塚から数えられていたようです。明治になり、輸送の主役が鉄道に変わりると一里塚の必要性
が失われ、、明治九年の太政官布告で「有害無益の塚丘」とされ、廃棄されていきました。
日本橋からの数   名称 所在地
78
79
80
81
82
83
84
85
86
87
88
89
越河の一里塚
斎川の一里塚
白石の一里塚
長袋の一里塚
宮松川端の一里塚
金ケ瀬の一里塚
大河原の一里塚
船迫二本杉の一里塚
船迫内余川の一里塚
四日市場の一里塚
岩沼の一里一里塚
名取本郷の一里塚
白石市越河平字矢尻
白石市斎川字鳥居坂南
白石市田町一丁目
白石市福岡長袋字壱里壇
蔵王町宮
大河原町金ケ瀬字神山
大河原町南海道下
柴田町北船岡三丁目
柴田町船迫内余川
柴田町四日市場生次
岩沼市桑原三丁目
名取市本郷
里程標
街道の里程基準は一里塚でしたが、明治に入ると修正する必要が出てきました。明治政府は
明治六年太政官布告四百十三号で「元標及び里程標柱書式」を定めて、新しい道路体系に
しました。その布告で里程標が設置をされました。里程柱はヒノキか松を使用し、県庁所在地
には一尺角 長さ一丈二尺、各村には八寸 長さ一丈の角材を使用すること。設置場所は
諸街道の起点として東京日本橋と京都三条橋に設置、大阪府及び各県庁所在地に管内諸道の
起点として設置すること、各街道には「里程元標」からの距離を測量して駅 郵便局 役所 高札場
などに設置すること等が定められました。
現在宮城県に現存する里程標は総て石柱であり、設置年が明治二十二年なっていること、書式が
太政官布告のものと違っていること、仙台元標といわれている「芭蕉の辻」が県庁敷地内でないこと、
現存する里程標からの距離があわないこと等、明治六年の太政官布告と矛盾する点もあり、
これからの解明が待たれます。
仙台元標からの距離 所在地
十五里 白石市越河平字石神
十四里 白石市斎川字梶川
十三里 白石市本町の当信寺前と言われている
十二里 不明
十一里 不明
十里 大河原町金ケ瀬神山(大高山神社裏)
九里 大河原町字町 我妻写真館前
八里 柴田町西船迫一丁目 札木事務所前
七里 柴田町船迫土平 リコー研修所前
六里 不明
五里 岩沼市桑原一丁目 五城信用組合岩沼支店前
四里 名取市本郷西六軒集会所近く